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rexus別館

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apotosis vol.3

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DAY3 SION

「それじゃあ、まずは状況を整理してみようか」
 しばらく続いていた沈黙に堪えかねた俺は、辺りをぐるりと見回した後に乾いた唇をそっと開いた。
 決して広いとは言えない、だが二人が生活するには十分なカイとジェンドの部屋。二つしかない椅子に俺とイリアが座って、ジェンドはドアに、カイは窓際に、それぞれ身体を預けながら俺の方をじっと見つめている。
「父上……いや、国王の事は俺達も知っている。前に会った時にはもう……」
 それ以上言葉が出てこなくて、逃げるように項垂れてしまった。この場にいた誰もがそれに気付いていた筈だ。そして目に見えない視線のような物が身体中に突き刺さっているような感覚を肌で感じていた。弱みを見せてしまった事、そして下手に同情される事が辛くて、きっと恥ずかしかった。
 そんな俺の手の甲にイリアの小さな掌がそっと重ねられる。
「シオン……」
「……大丈夫だ」
 それは自分に言い聞かせる為の言葉だったのかもしれない。イリアを安心させてやるという事、自分を前に進めるようにすると言う事--その二点においてそれは必要だったのだ。言葉というのは不思議な物で、口に出してしまえば事実とは異なっていたとしても本当に思えてしまう。例えそれが良い事であろうと、悪い事であろうと。
 念を押すようにゆっくりと顔を上げて唇の端に微かな笑みを浮かべて見せた。俺が考えている事を察したのだろう、彼女も唇だけで笑顔を作ると、重ねた手にギュッと力を込めた。
「国王が政を続けるのは不可能だと誰もが思っていたし、実際にその通りだった。だから王権は王妃であるルハーツに委譲された。だがそれは形式的なものに過ぎなかった。国王が生きている限りそれは完璧な物とはなり得ない。ヒエラルキーの頂点に君臨するのは国王であって王妃ではない。故に彼女にとって国王は煙たい存在だった」
 誰もが無言のまま耳を傾けていた。イリアは心配そうな顔で俺を見つめていたし、ジェンドは表情一つ変えず強張った顔を床に向けていた。カイはカイで時たますまなさそうな視線を俺に向けていた。
「そんな中現れたのがイールズ・オーヴァだ。ヤツは地位と引き替えに国王暗殺を持ちかけてきた。要するに自分を重用してくれれば国王を殺してやろうと、そういうわけだ。まんまとそれに乗っかった『あの女』は安易にヤツを導き入れてしまった。国の中枢だけじゃない……心の一番深い所にまで、な。ヤツにとってアドビスの地に眠る力を手に入れる為にそうする必要があったんだ。そしてそれを成し遂げる為にダークエルフの血は必要不可欠だった。しかしヤツのもくろみは思わぬ所で頓挫する事となる。ヤツの計算はどこかで間違っていた。話を聞いている限りだと何かが不足していたようだな。そして今、ヤツは再び俺達の前に姿を現した。それが何を意味するかは想像に難くない。つまり、不足した何かを手に入れたと、そう受け取っていいだろう。違うか?」
 誰も答えはしなかった。ジェンドとカイは俯いたまま、俺の言葉を認めたくないようだった。もっとも、別の理由で認めたくないのは俺も同じなのだが。そして二人を交互に見つめると、いよいよ核心に迫るべく重たい口をゆっくりと開いた。
「問題はこれからどうするかと言う事だ。選択肢は二つある。進むか……それとも退くか」
「……よう」
 今にも風にかき消されてしまいそうな小さな声だった。
 そこにいた誰もが声の主をじっと見つめて、彼はその視線に圧倒されているようだった。窓から差し込んでくる陽の光に照らされた顔は酷く青ざめ、その身体は微かに震えているように見えた。
「逃げよう……どこまでも逃げればいつかはヤツも諦めるさ。ジェンドは俺が守るから。絶対に守ってみせるから!」
 思い返してみればその様な姿を見たのは初めてだったのかも知れなかった。
 アドビスを去った影にはそれなりの理由があったに違いない。それでも、俺が知っているカイは男らしくて、頼りがいがあって、妙に大人びた所があって…… だが今の彼にその面影などどこにもなかった。目の前にいるこの男はかつて俺が慕っていたカイとは全くの別人であり、その事実に苛立ちを抱かずにはいられなかったのだ。
「いつまでだ?」
 吐き捨てるような言葉に驚きを隠せなかったのだろう。「え……」と声を漏らしたカイは呆然とした表情を浮かべながらじっと俺の顔をみつめていた。
「いつまで逃げる? 奴の目的がジェンドである以上、いつかは必ず俺達の前に現れるぞ? 逃げ切る事なんて出来ない」
「シオン!」
「イリア、お前は黙ってろ。遅かれ早かれ終わりは来るというならそれでいい。それを許すのであれば……自分達で決めるんだな。おとなしく最後の刻を待ち続けるか……それとも必死になって抗うのか」
それが誰に向けられたものであったのかは解らない。ただジェンドは明らかな嫌悪感をむき出しにした溜息を吐き捨てると、腕組みをしたまま俺を一瞥して、最後にカイをじっと見つめた。
「……私はもう逃げない」
 そしてくるりと身を翻すと、足早に部屋から立ち去っていった。
 カイは今にも泣き出しそうな顔でじっと床を見つめていた。

◇ ◇ ◇

 その夜、俺達はいつもよりも早く眠りについた。
 朝の一件以来イリアにどう接して良いか解らなかったし、何となく避けられているような気もしていた。何とも言えない後味の悪さを抱いたまま、ただ古びた宿の一室で沈痛な静寂に堪えるほかなかったのだ。
 だから寝てしまえば何もかも考えずに済むと思った。明日になれば何もかも元通りになっている、と。だが結局の所布団の中に入っても頭は冴えたまま、記憶の奥底に張り付いた朝の光景が何度も何度も繰り返されていた。
 独善的な自分。決して間違った事は言ってはいない。けれど、正しい事を言ったかと訊かれればそうとは言えない。もしも俺がカイの立場だったなら……きっと彼と同じ事を望んだに違いないのだから。それに好きな女の前で否定されたとしたら--

「ねえシオン……起きてる?」
「ああ、どうしたんだ?」
「そっち……行ってもいいかな」
「な……何だよ、いきなり」
「ふ~ん」
「だから何だって……」
「別に嫌ならいいよ。一人で寝るから」
「誰も嫌だなんて言ってないだろ。いきなりだったからちょっと驚いただけだって」
「へへっ、じゃあ行っていい?」
「……好きにしろ」
 暗闇の中に布団が擦れる音が響き渡る。そして微かに床が軋んだ瞬間、俺は胸騒ぎを覚えて彼女の方に振り返った。
「おい、暗いから気をつけ--」
「ひゃ……!?」
 間抜けな叫び声と共にドスンという鈍い音が響き渡る。
 それを聞きながら右手の掌を額に押しつけて「やれやれ」と呟く俺。全く……いつもながらお約束を外さないヤツだ。
「大丈夫か?」
「うにゃ~~痛いよぅ……」
「だから気をつけろって言っただろうが。ほら、手貸せよ」
「うん。アリガト」
 彼女が布団の中に入ってきた瞬間、微かに甘い香りがフワッと漂ってきた。
「あったかいね」
 そう無邪気に笑いながら俺の寝間着に掴まってくる。
 柔らかな肌がそっと触れて、身体中がカァッと熱くなっていくのを抑える事が出来なかった。
「そ……そうか?」
「うん。とっても気持ちいい」
「…………」
「…………」
「…………」
「大切な人を失うかもしれないって……辛いよね」
「……ああ」
「私ね、話聞きながらずっと考えてたんだ。もしシオンがいなくなったらどうしようって……そんな風に考えると怖くて仕方なくて……」
「イリア」
 世界で一番愛しい人の名を囁きながらそっと抱きしめてやる。
 俺の寝間着の胸元をギュッと握りしめたまま動く気配は無かった。ただきつく……その手は絶対に離さないと言わんばかりにきつく握りしめられたまま。腕の中にいる彼女はそんな脆くて壊れやすい小鳥のように思えて仕方がなかった。そしていつもの無邪気な笑顔の向こう側にどれだけの不安を抱えていたのだろうと思うと、それに気付いてやれなかった自分が不甲斐なく思えて仕方なかった。
「前にも言っただろ?もう二度と一人にはしないって。ずっと傍にいるって。」
「うん……」
「だったらもう怖がるなよ。な?」
「イェールス神殿で……あの時、生きて帰れるとは思ってなかったでしょ?」
「そんなこと--」
「あるよ。シオンの顔を見てて解ったんだ。もうお別れだって、そんな顔してた」
「でもちゃんと生きて帰ってきた。今もお前の傍にいる。そうだろ? これからもずっとだ。俺の言葉、信じられないか?」
「……ずるい」
「何が?」
「そんな風に言われたら『信じられない』なんて言えないじゃないか」
「ふふっ、それでいいんだよ」
「むぅ……」
「だったら、お前が捕まえてろよ。俺がどこにも行かないようにさ」
「どうやって?」
「紐でくくりつけとくとか」
「ははっ、それいいかも。赤い紐でね」
「いや……それはちょっと……」
「わぁ~赤くなってる。か~わいい!」
「ちぇっ……これだよ」
「へへっ、でもちょっと安心したかも。ありがとね、シオン」
 唇の端に笑みを浮かべながら、俺の隙をついた彼女はほっぺたにチュッと口付けしてきた。
 反射的にビクッと震えてしまう初な自分が物凄く恥ずかしかったけれど、それに劣らないほどたまらなく嬉しくてしかたなかった。俺の事を想ってくれる人がいると肌で感じることができるから。その温もりを感じていると酷く安心できるから。


「それじゃあ、行こうか」
 地平線の遙か彼方に太陽の昇り始めたリルハルトの朝。まだ薄暗いその町の大通りに佇みながら、俺達はカイとジェンドの思い出が詰まった二人の家をじっと見つめていた。もう二度と帰ってくる事は叶わないかもしれない。もしかして俺はとんでもなく残酷な決断を二人に押しつけてしまったのかもしれない。昨日よりも少し大きくなった葛藤を胸に抱きながら、三人の顔を見つめてそう呟いた。
「……ああ」
 カイとジェンドは繋いだ手をきつく握りしめながらそっと頷いてみせた。二人の向こうに広がる空はまるで血を垂らしたかのように真っ赤に染まっていた。



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